真田家のシンボルといえば、決死の覚悟を示す『六文銭』! ……だけど、いついかなる時も、その不吉な死のマークを掲げていたわけじゃないって知ってた?
実は彼ら、現代の私たちが勝負スーツと私服を着替えるように、TPOに合わせて「裏の家紋」を巧みに使い分ける達人だったのだ!
戦場を離れたプライベートでは、無事の帰還を祈る愛らしい渡り鳥『結び雁金』が大活躍!
さらに、徳川の世を生き抜くため、兄・信之はこの紋を盾にしてお家を守り抜くという、手に汗握る頭脳戦を展開するぞ。
そして結婚式などの超ハッピーな場面では、決して六文銭は持ち込まず、豪華なパーティードレスのような縁起物『州浜』を身にまとっていた!
過酷な戦国を生きる武士たちが、平和への祈りと家族への愛を託したシークレット・エンブレムの数々。
「真田家の裏家紋!〜六文銭だけじゃない、命がけのTPO〜」
歴史の裏に隠された真実を、君の目で見届けてくれよな!
六文銭だけじゃない?真田家が使い分けた「裏の顔(替紋)」

真田家のシンボルといえば「六文銭」が有名ですが、実は時と場合によって「裏の家紋(替紋)」を巧みに使い分けていました。
なぜなら、六文銭は「いつ死んでもいいように、三途の川の渡し賃(六文)を持っておく」という死を覚悟したマークであり、平和な日常や結婚式で使うには縁起が悪すぎたからです。
これは現代で例えるなら、仕事用の「勝負スーツ」と、休日用の「おしゃれな私服」を使い分けるようなものだと言えるでしょう。
お葬式用の黒いネクタイを、友人の結婚式に締めていかないのと同じ感覚ですね。
常に命がけの戦場にいた真田家の武士たちも、実はしっかりと空気を読み、TPOに合わせて「顔」となる家紋を使い分ける繊細さを持っていました。
歴女家紋も状況に応じて使い分けるのですね!
結び雁金(むすびかりがね)|家族への思いやりが詰まったマーク


普段使いのプライベート用として愛用されたのが、「結び雁金(むすびかりがね)」という渡り鳥をモチーフにした家紋です。
六文銭が「死」を意識させるデザインなのに対し、この紋には「平和に暮らしたい」「無事に帰りたい」という切実な願いが込められているからです。
渡り鳥である雁(がん)の「カリ」という鳴き声が、「借りたものが返る=生きて無事に帰る」という語呂合わせになっています。
現代でいえば、LINEで「今から帰るよ」と家族に送るスタンプのような、温かい思いやりのシンボルでした。
殺伐とした戦場から離れたプライベートな空間では、この可愛らしい結び雁金が、真田家の「生への祈り」を表現する大切なマークだったわけです。
兄・真田信之が「結び雁金」を使い続けた深いワケ


実は、兄の真田信之の家系では、江戸時代を通じてこの「結び雁金」がメインのロゴとして大活躍しました。
弟の幸村が「六文銭」を掲げて徳川家康を大いに苦しめたため、徳川が支配する江戸時代に六文銭をドヤ顔で使うと、幕府を怒らせてしまう危険があったためです。
これは例えるなら、ライバル企業のロゴが大きく入った服を着て、取引先の社長に会いに行くようなものでしょう。
無用なトラブルを避けるため、兄の信之はあえてマイルドで平和的な「結び雁金」を前面に押し出しました。
弟の幸村が六文銭でかっこよく散った一方で、兄は結び雁金を使って上手く世間を渡り歩き、「家を存続させる」という重要な戦いを勝ち抜いたのです。



生き延びるためには家紋を変えてでも生き残りますわ!
州浜(すはま)|結婚式専用の「パーティードレス」


さらに、結婚式やお祝いの席という「超ハッピーな場面」専用に使われたのが「州浜(すはま)」という家紋です。
お葬式を連想させる六文銭は、おめでたい場に持ち込むのは絶対にNGとされていたからです。
州浜の独特なデザインは、祝宴で料理を乗せる「オシャレな飾り台」を上から見た形をしています。
現代でいえば、結婚式の時にだけ着る「華やかなパーティードレス」や「ご祝儀袋の豪華な水引」のような、特別感のある縁起物ですね。
いつ死ぬか分からない過酷な時代を生きていたからこそ、真田家は「州浜」という華やかなマークを使って、数少ない人生の喜びを全力でお祝いしていたのです。



州浜は私のドレスのようにパーティー用ですのね!
Q&A


- 真田幸村のシンボルといえば「六文銭」ですが、どうして縁起が悪いんですか?
-
六文銭とは「あの世へ行くためのお金(三途の川の渡し賃)」のことだからです。
亡くなった人と一緒にお棺に入れるお金なので、戦場では「いつ死んでも悔いはない!」というカッコいい覚悟のマークでしたが、普段の生活で使うには「お葬式」を連想させてしまいます。そのため、平和な日常では使うのがタブーとされていました。 - 真田家のように、家紋をいくつも使い分ける(裏家紋を持つ)のは普通のことだったんですか?
-
はい、実は珍しいことではありません!
現代の私たちが「仕事用のスーツ」と「休日用の私服」を分けるように、当時の武士たちも場面(TPO)に合わせて家紋を着替えていました。公式な「表の顔」とプライベートな「裏の顔」を使い分けるのは、武士ならではのオシャレであり、大切なマナーでもあったんです。
- 激しい戦いのイメージがある真田幸村も、裏家紋を使っていたんですか?
-
もちろん使っていました!
戦場での幸村は「六文銭」を掲げて戦う恐ろしい武将でしたが、家族と過ごす時間や、お祝いの席では「結び雁金」や「州浜」といった平和なマークを身につけていました。戦いの強さだけでなく、家族思いで空気が読める一面もあったと思うと、より親近感が湧きますよね。
- 兄の真田信之は、なぜ江戸時代に「六文銭」を隠すようにしたのですか?
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弟の真田幸村が「六文銭」の旗を掲げて、徳川家康をあと一歩のところまで追い詰めて大ダメージを与えたからです。
徳川の世の中になった後、家康をトラウマにさせたマークを堂々と使うのは、家が取り潰される危険すらありました。
そこで兄・信之は、平和な「結び雁金」をメインのロゴに切り替えることで、幕府に「逆らう気はありませんよ」とアピールし、上手く家を守り抜いたのです。

